【書籍】フェルマーの最終定理【350年越しの謎】

ノンフィクション

フェルマーの最終定理(新潮文庫)

この本で得られる学び

  • 数学は冷たい理屈ではなく、人間の情熱と物語に満ちた営みであること
  • 長年の夢や情熱は、孤独な努力と偶然の出会いによって実現しうること
  • 知識の積み重ねこそが、人類の叡智を前に進める最大の原動力であること

数学とは人間の営みである

フェルマーの最終定理は、「xⁿ + yⁿ = zⁿ という形の式は、n > 2 のときには自然数の解を持たない」という単純な命題である。彼は「私は驚くべき証明を見つけたが、余白が狭すぎてここに記せない」とだけ記した。この挑発的なメモは、後世の数学者たちを熱狂させ、何世代にもわたる研究の火種となった。

本書では、フェルマーの時代から現代にいたるまで、どれだけ多くの人間がこの定理に挑み、挫折してきたかが描かれる。ある者は人生をこの難題に費やし、ある者は命を落とし、ある者は他の数学的分野を発展させる副産物を生んだ。

そして、最終的にこの難題に決着をつけたのは、イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズ。彼の登場は物語のクライマックスであり、読者は知らぬ間に彼の孤独な戦いに肩入れし、成功の瞬間には胸を打たれる。数学は決して冷たくない。それは情熱の結晶なのだ。

ワイルズの孤独と執念に学ぶ

本書の最大の山場は、アンドリュー・ワイルズの証明過程だ。彼は少年時代に「フェルマーの最終定理」に出会い、その美しさとミステリーに魅せられた。そして、30年以上もの間、この一つの命題だけを追い続ける人生を歩む。

彼は誰にも言わず、7年にわたって自宅の屋根裏で研究を続けた。その期間、数学界からは消えたかのように見えた彼は、研究者人生を捨てる覚悟で、この定理の証明に人生を賭けていたのだ。

やがて発表された論文は世界を驚かせたが、その直後、証明の中に重大な欠陥が発見される。ここで諦める者もいただろう。しかしワイルズは再び立ち上がり、さらに一年を費やして問題点を修正し、ついに完全な証明を完成させた。

この過程は、まるで登山家がエベレストの山頂に挑むかのような困難に満ちている。しかし、ワイルズは「ただ好きだから」「知りたかったから」という純粋な情熱を原動力にして乗り越えていく。その姿勢は、どんな分野の人間にも通じる、真の探求者のあり方を示している。

知識の積み重ねが人類を前に進める

フェルマーの最終定理は、17世紀には証明不可能だった。なぜなら、必要な道具──楕円曲線、モジュラー形式、谷山・志村予想といった数学的知見──がまだ存在しなかったからである。つまり、ワイルズの証明は彼一人の成果ではなく、数世紀にわたる数学の蓄積の上に成り立っている。

特に日本人数学者・谷山豊と志村五郎が提唱した「谷山・志村予想」が鍵となった。これは、まったく別の分野に見える楕円曲線とモジュラー形式が実は深く関係しているという仮説であり、ワイルズはこの予想の一部を証明することで、間接的にフェルマーの最終定理をも証明した。

このエピソードは、科学や知識がどのように前進するかを示している。孤高の天才が突然ひらめくのではなく、数多の研究者が残してきた知の階段を、一歩ずつ登っていく。その積み重ねの先にこそ、歴史的な発見がある。人類の知的営みは、こうして少しずつ世界を明らかにしてきたのだ。

まとめ

『フェルマーの最終定理』は、数学という分野のイメージを一変させる力を持った一冊だ。そこにあるのは、数字の羅列ではなく、人間の情熱と物語である。謎を解き明かすという欲望、挫折しながらも挑み続ける意志、そして仲間たちとの静かな連携。まるで歴史小説のようであり、ミステリーでもあり、ヒューマンドラマでもある。

難解な理論や証明も、サイモン・シンの手にかかれば驚くほどわかりやすく、しかも面白い。数学に苦手意識のある人ほど、読んでほしい。読み終えたとき、数学が少し好きになっている自分に気づくだろう。

フェルマーの余白のメモは、350年の時を超えて、一人の少年に火を灯した。そしてその火は、知の松明となって今も我々の手の中にある。これは単なる定理の証明ではない。人類の夢と希望の記録なのだ。

サイモン・シン (著), 青木薫 (翻訳) | 新潮社 457P

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